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これからお話する内容は、内部告発文書です。
証拠となるものは公的な書類や経過の推移、公式に発表された
数字などありますが、すべて揃っているわけではありません。
また、猜疑心で満ちた方たちなので、公的な機関との接触の証拠は
当然のことながら処分されています。
このように匿名で公表することを了承ねがいます。
また文中には伏せ字がありますが、現在の状況によりせざるを得ません。
1. 上場
1998年 株式公開準備室が設置される。
株式会社マルハン、韓昌祐会長直属の組織である。
韓会長は東京株式市場に店頭公開することを
強く希望しており、次のように述べている。
「メーカーばかり公開できてホールが上場できないのはおかしい。
メーカー優遇は差別に等しい。ホールあってのメーカーということを
知らしめるのは、うちのマルハンを店頭公開しなければならない。」
マルハン京都本社と証券会社・日本証券業協会の往復が続く。
しかし、これ以降さまざまな出来事が起こる。
当時、マルハンの経営は厳しい状況であった。
大阪、愛知、静岡、神奈川、東京とバブル崩壊で
下落した土地を買いあさり、大型店の展開を広げていった。
しかし、急に銀行の貸し渋りで、巨額の設備投資と金利負担で
経営内容は悪化の一途をたどり上場どころではなかった。
ところが韓会長は、マルハンの店頭公開で得られる創業者利益を
もってこの経営危機を打開しようとした。
しかし事は運ばず、その執着心は社員へと向けられるのであった。
「売上げも規模も十分に基準を満たしている。それができなないのは
お前たちのせいだ。自分が韓国人であるから差別しているのではないか。
徹底的に調査をして証拠を持ってこい。」と厳しく叱咤されている。
野村・勧角(当時)・国際証券、日本証券業協会審査部・調査部へ
何度も足を運んだが進展は見られなかった。
韓会長は社員の上場意欲がないと思い、持ち株制度を強調していたが
じつのところ、株は韓会長と夫人、三男の杉本卓三名義で親族以外では
鈴木社長、藤原専務がそれぞれ1000株しか持っていなかった。
内勤社員たちは韓会長の話が嘘であることをすぐに察知した。
韓会長は上場に関して多くの人に相談している。
平和の中島会長、息子の中島潤副社長(当時)、アルゼの岡田社長、
高砂の濱野会長、京セラの役員専務、自民党衆議院議員の伊吹文明氏、
自民党衆議院議員N氏、N氏事務所の井嶋氏。
これらの方々を通じ、大蔵省や日本証券業協会の壁を越えて、
店頭公開を実現しようとした。
しかし、時間と資金だけを浪費し経営は好転しなかった。
2. 出世払い
韓会長は月に一度は韓国へ里帰りしていた。
しかし理由はそれだけではなかった。
伊藤忠商事本社イケダ部長と駐韓ソウル支店長と共に
新韓銀行本店、新韓生命保険本社へ通った。
なぜ韓国マネーとつながりがあるか?
韓会長の夫人は韓国の金泳三前大統領と親族になる。
この話し合いは詐欺のような資金調達であった。
「マルハンの店頭公開利益を見込み、第三国経由で
資金調達をする。」
その役目を買って出たのが先のメンバーである。
新韓銀行と新韓生命保険が伊藤忠との三角取引で
マルハンへ迂回するというもの。中国も関わっているらしいが
詳細は不明なままである。
金額は具体的に知らされていた。1回目が800億円、
2回目が5〜600億円というものであった。
1999年夏までに韓会長は政治家へのばらまき、
証券会社・日本証券業協会、関係者へ多額の接待を
行なったが効果はなく、韓会長が切望している株式公開が
難航した。この時期いらだちも頂点に達し、社員へもかなり
厳しくあたっている。
「人種差別はないか。あれば日韓問題にして先生に国会から
圧力をかけてもらう。」と、国籍のコンプレックスともとれる
感情を表わしている。
なぜこれほどまでして上場できないのか?
見解はこうである。
「ホールの株式公開は時機尚早である。営業そのものが
ギャンブル性と射幸心を煽ることで成立している。
社会信用度も低く脱税が目立つうえに社会貢献度も
低い業種である。風俗営業法の枠内にあり安定度と
イメージが悪いので上場が難しい。」
しかしマザーズやナスダックのような新興市場の登場で
基準にも変化が出てきた。
係争・訴訟中の問題さえなければ公開の許可を認める。
という内容だ。
しかし、2000年10月現在、大阪・静岡等で裁判係争中である。
3.
新たな
1999年マルハンは大阪のS市に出店しようしていた。
S市警察署の副署長に会い挨拶をしたあと、営業許可を
取るため保安課に出向いた。
課長と係長は「いきなり大型店舗それも800台という営業許可は
出せない。これだけ大きいと所轄から許可は出しづらい。本部から
指令があれば別だが、慎重に対処するので時間をくれ。」
この時の実行指揮は藤原専務が、マルハン本社では工藤部長代理が
担当していた。
いままでこの2人で各地のオープンをスムーズに行なってきたが、
今回これほど難航するとは思ってもいなかった。
1999年5月のGWにオープン予定が7月、9月と日ごと延期に
なった。
原因は営業許可が下りなかったことである。
すぐにN氏事務所へ赴き、井嶋氏に善処を依頼した。
2日後、警察本部へ行くとそこにはマルハン東大阪店長が
待機していた。藤原専務と店長は警察本部で陳情した後に
今度は毎日新聞社の和賀井編集委員と会った。
和賀井氏は京都へちょくちょく行っては韓会長や藤原専務が
接待をした。
和賀井氏はマルハン側に警察本部幹部や府会議員、S市市長を
引き合わせた。また、警察まわりの記者をマルハンT市店に
行かせたりした。
韓会長は政治家を、藤原専務と工藤部長代理は
警察などの工作を分担していた。
最大の障害は隣接地に診療所が建設されることであった。
興信所や警察OBを使い徹底的に調査する一方で、
裁判所に異議を申し立て、両面で一気に解決するつもりであった。
しかし、警察が許可を出さないので進まず、マスコミや政治家を
使い早く決着しようとしたのである。
10月の会議でも「実力行使と抱き込み工作で11月には
許可を取れ。」との韓会長の指示でした。
マルハンT市店を前線本部にし、警察本部、S市警察、
大阪府庁、S市市役所へ営業許可の催促を行なった。
この時に和賀井編集委員がマルハンの意向を汲みTBSを動かし、
反病院キャンペーンの番組を制作し放映した。
警察は「タマゴが先かニワトリが先かが問題であって診療所と
合意があれば心配はない。警察は民事不介入だから、これ以上の
便宜ははかれない。」と。しかし、韓会長や藤原専務はメンツに
かけて「強行突破」の一言だけであった。
1999年12月、歳末営業会議で9月期決算の報告があった。
売上げ目標2500億円に対し、2370億円と下回った。
原因はS市店であると考えた。
韓会長と藤原専務はS市店専従班につぎのように言った。
「手段を選ばず許可を取れ。忘年会シーズンだから警察への
接待も目立たないから攻勢をかけろ。X’masプレゼントやモチ代の
名目で実弾を使え。許可さえ取れば安いものだ。この機を逃せば
来年の春になってもオープンできない。一切の責任は個々に
まかせる。会社は上場前なのでイメージは落としたくないので
諸君の愛社精神に期待する。」
ついに社員の人柱へと発展したのである。
2000年1月下旬、元従業員は本社に呼び出され責任追及のあげく、
京都の暴力団たちに囲まれ暴行を受けた事実がある。
警察への信頼が失墜している今、これ以上贈収賄のことに
触れないが、警察の方々はクラブ、スナック、キャバレーと
いった所が非常に好きでその接待、車代も必要であった。
2000年9月現在、診療所とマルハンは係争中であるが
診療所側の宮田氏が無断で裏取引を画策している。
4.
基準
韓会長がS市店の出店を早くしたいのは、売上げだけではない。
1999年11月頃、日本証券業協会の上場審査部から
「紛争か訴訟ごとはありませんか。裁判中には店頭公開
できません。」と通知がきた。
韓会長は弁護士やアルゼの岡田社長に確認した。
ちょうどこの時期にアルゼのライバルであるサミーが公開申請しており、
アルゼとの訴訟が問題で審査をパスできなかったからである。
他にも静岡の長沼店でもトラブルがあり、亀井静香事務所へ
相談していた。戸塚進也前衆議院議員が責任を持って動いた。
マルハンの同業でも店頭公開しようとしたところがある。
ダイナムである。
しかし「三店方式」と呼ばれる景品交換システムが問題になり、
公開は見送られた。マルハンはこの経緯から、公開申請を
通りやすくするため「三店方式」ではなく「等価交換」を打ち出した。
ところがこの「等価交換」では直買いをしており、買い取り所は
ダミーの会社で運営しているのが実状である。
この「等価交換」というのは営業戦略として必要である。
だが、1000台規模の大型店になると集客と同時に、
出玉をよくするためにその調整が必要になる。
それができなければ営業を維持することができない。
裏ロムと呼ばれる方法を用いて出玉を調整するのは、サクラを
使って集客するというのもあるが、ほとんどがホールを搾取する
手段である。そのため、業界こぞって摘発の対象である。
しかし、遠隔操作という方法はホールの経営をコントロールする
ことができ、むしろ業界では歓迎されている。
「等価交換」方式は集客と経営安定のために裏付けされる、
テクニックが必要になる。特に大型店では必須課題である。
5. テクニック
遠隔操作というのは技術的に可能である。
特に1店舗だけの運用に限れば歴史は古い。
しかし、多店舗で展開する場合は方法に問題がある。
各店舗ごとに用意すればいいかもしれないが、それだけ
秘密の漏洩になる。そこで考え出されたのは、ネットワークに
よる集中管理である。ネットワークであればその制御装置本体の
設置場所をホール内である必要もなくなる。昨今の通信事情を
みればおわかりのように、電話回線があればどこにいても通信できる。
だいだいの原理はおわかりであると思う。
おおまかに分けて2つからなる。
1.ネットワーク技術・・・ 通信回線を用いて対象となる店、あるいは
島、台に信号を伝達する技術。
2.制御プログラム・・・各台の状況を判断し指示された割数にあわせた
指示を決定するプログラム
ネットワーク技術は一般企業でも構築できる。
例をあげればネットワークに強いサイボウズ社でも開発可能である。
制御プログラムはどこでもよいが、ワイテック社でも開発できる。
2つの技術を合わせれば発見されず、確実に運用できるシステムが
構築できるのである。
これを大型・多店舗展開するホールが導入すると
安定した経営を維持し、店頭公開の審査時の基準をクリアするために
貢献できる。