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その1。

 私が昨年 (1993年)、夏期講習で社会を担当していたときの話です。3年生の授業が終わり事務を執っていると、私の後ろに座っていた理科担当のA先生に、見かけない雰囲気の1人の女生徒が質問していました。「なかなか熱心な生徒だな」と思っていましたが、どうも質問の様子がおかしいのです。普通、理科の先生に質問と言えば「電流がわからん」とか「フレミングの左手」とかそういう話をするのが相場と決まっています。ところがその女生徒は「A先生の中学生の頃の恋愛観」や「友情とは」などと、くどくどと馴れ馴れしくA先生に尋ねていました。A先生は元来きまじめな人で、それらの質問にも誠意を持ってそれなりの相槌を打っていましたが、困り果てた表情がありありと浮かんでいました。私にいるところからは質問者の顔が見えなかったので、「おかしなやつやなあ」と思い、どんな生徒だろうと体の向きを変えて質問者の顔をちらと見ました。目つきが異常に悪く、うひゃあなんだこいつは、としか言い様のない女でした。
 その女がC.Yという名であることを知ったのは1カ月後で、我々講師陣に災難が降り懸かるとはまだ知る由もなかったのです。

 それから数週間後、同僚のX氏が言うには「今度新規に入ってくる子 (夏期講習のみ受講する外部生もいる) で、すごい奴がおるんよ。性格がUで顔がZで、それをさらにひどくしたような奴」ということでした。その2人は、一昨年に私が英語を担当していたときの生徒で、Uは性格がきつく、Zは不細工でした。その時私は、うわあすげえやと思っただけで、夏期講習での出来事は忘れていました。
 2学期に入り、私の担当する国語のクラスにも新入生が数名入ってきました。その中に例の、理科のA先生をおかしな質問責めにした子がいました。瞬間、夏期講習の情景とX氏の話が、頭の中で一つになり私は全てを理解しました。そうです、あのおかしな質問をするYは国語も履修しており、そいつがそのすさまじい性格と容貌の持ち主であるということを。私は暫く様子を見ることにしました。授業中はおとなしく (といっても女子はY1人)、字は汚いもののノートもきちんと取っていました。
 「なんだ、案外まじめだな」と思った私が浅はかでした。確かに静かでまじめですが、問題を答えさせると1問も答えられないとは!私の担当していた生徒たちは頭のいい生徒ばかりでもなかったのですが、問題を解く前に簡単な解説をするので、ほとんどの生徒は解答できていました。それなのに当てると唖のように黙り、さらに尋ねると「わからない」と投げやりにぼそっと言うのです。分からないなら講師に対しては「わかりません」というのが普通のはずです。授業の度にこういったことのくり返しで「やっぱ、こりゃ問題だな」との認識が芽生えはじめました。
 その後、X氏から「最近、授業終了後、しばしばYがくだらない質問に来るので困る」との話を聞き、夏期講習の時のあの光景を再び思い出しました。さらに氏は「君の所にも来るかもしれんぞ。一度まじめに答えてやったらまた次から来るので、うまい具合にあしらえよ」と真顔で忠告してくれました。

 ある日、国語の授業の終了後、生徒を教室から追い出して、教室の電気を消し扉を閉めていると、Yがつかつかと近づいてきて「先生、一つだけ聞いていい?」と言いました。それがいつもの常套句であることはX氏からあらかじめ聞いていたので「来た、来た」と内心身構えました。そして先手をとらねばと思い、「つまらんことは聞くなよ」と釘を差しました。にもかかわらず、Yは「先生、そんなホストみたいな格好していいの」などとほざいたのです。その日、私は三つ揃いのベストを着用していました。たぶんそのベストを見てそう思ったのでしょう。私は唖然としましたが、瞬時に怒りが沸々とこみ上げて、「何を着ようが俺の勝手だろう」と憮然と吐き捨てるように言い、後ろも振り返らずに事務室に戻りました。少しばかり残っていた「もしかしてそう悪い奴でもないかも知れない」という感情はこれにより完膚無きまでに粉砕されました。

 この一件があった後、私は極力Yとかかわらないようにしました。そして私がYを本当に嫌になった事件が起きました。
  ある日の授業終了後のことです。男子生徒が帰宅のため外へ出た後、Yが近づいてきて「先生、中学生くらいの女の子からもらうんだったらどんなものがいい」と訪ねてきました。こんな奴に物をもらったが最後、形に残る物だけは避けなければなりません。そこで「やっぱり食べ物がいいんじゃない」と答えました。口がからからに渇いてきました。とにかく、1対1で会話をするのは嫌だったので、隣の机で事務を執っていた理科のK先生に「K先生、やっぱり消え物のほうがいいですよねぇ」と振りました。K先生は事情を知らないので「そうやねえ、やっぱり食べ物が後腐れなくていいんじゃない」と答えてくれました。しかし、私に何かモノを持ってこられたら大変なので「ま、まあ、生徒から物もらうのはあんまり良くないんで..」と吃りながら言うと、事務室のガラス窓の外から男子生徒が叫びました。「先生、顔ひきつってる〜」「先生、ものすごくイヤそうやぁ」。私は全く男子生徒の言うとおりだったので笑いそうになってしまいました。しかし、笑う訳にも行かず「くだらん事を言うな」とこみ上げる笑いをこらえて窓の外に向かって言いました。すると、男子生徒達はさらに「Yと話すの嫌やからK先生に話振ってるぅ」とはやし立てます。事実だったので余計むきになって「余計なことを言うな」と反駁しました。ところが、Yが「いや、ここの先生じゃなくって、学校の吹奏楽部のZ先生にあげるの」と言ったときのあの脱力感。正直ほっとしました。安堵感からか饒舌になり「あ、そう。そうだったら、ほら、クラシックのCDを買ってプレゼントするとか」「んー、でもあんまりお金ないし...」「いや、今なら1500円くらいの廉価版もあるから」「ケーキとか作ろうと思っているんですけど」。「こいつ、一体何が言いたいんだ。ケーキ作るのを決めているんだったらそうすりゃいいのに、いちいち来やがって。とっとと帰りやがれ」と内心思いつつ、たわけた質問に投げやりに答えていました。「私、卒業したらそのZ先生に楽器をプレゼントしてあげる、って言ってあるの」。今の話じゃないならするなよ、第一そんなものお前みたいなヤツからもらいたいと誰も思わないし、もらったが最後、とんでもないことになるぞ、と腹の底でつぶやきながら適当にいなしました。その後もしつこくいろいろ聞きましたが、K先生がいたおかげで、その日は乗り切ることが出来ました。

 その事件の後、授業中でも絶対に眼を合わさないようにする、話をしなければならない必然性が生じたときはいかなる状況であっても感情を出さずに話す、など私は一切Yとの接触を避けることに努めました。そのうち、3年生に変な女子がいるという噂が他学年にも広まりました。1年生の男子が休み時間に3年生の国語の教室の前を通ったら目つきの怖い女の人に睨まれた、などです。しばらくして、5教科全てを選択していたYは私の担当する国語の授業だけをやめました。通常であるなら、それは全く好ましくない事態なのですが、その時の私の喜びは筆舌に尽くしがたいものがありました。




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